旅行・地域

大隅紀行

シルバーウィークでなく、5月の大型連休の話。
南九州に行ってきた。

まず、海上自衛隊鹿屋航空基地を再訪。2013年4月に訪れた際は、平日だったこともあり来客は少なく、閑散としていた。今回は、大型連休真っただ中で、映画「永遠の0」の影響もあってか、臨時駐車場を運用するほど来客が多かった。
本ブログで前回来訪した状況を報告しているので写真は略すが、史料館の敷地外にあって見落としていた二式大艇(二式大型飛行艇)の写真を紹介する。

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史料館の公式HPによれば、戦後、本機に搭乗した米軍中尉が高性能ぶりに驚嘆した逸話があるそうだ。いわゆる潜水空母「伊400」、航空母艦「大鵬」、そして本機など、戦前の日本は海に絡む技術分野で世界最高水準にあったことは間違いない。それを量産する工業力が不足していたわけだが・・・


次いで、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の内之浦宇宙空間観測所へ。
省コスト型のイプシロン・科学観測ロケットの打ち上げを担当しており、H-IIAロケット担当の種子島宇宙センターほどの規模は無いが、立派な打ち上げ基地だ。

資料館が併設されていて、内之浦における宇宙開発の歴史が分かる。

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ロケットから噴射される煙は、綿花。ローテクも味があってよろし。

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この日は、数日前の豪雨による道路のがけ崩れに伴い、見学地のM台地への立入りができなかかった。看板に書いてある主要地点は見学コースに見えるが、施設概要の説明らしく立入は不可。

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発射台

外之浦の集落に掲げられていた交通安全の看板。なかなか強烈。

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本日の最後の訪問地は佐多岬。GW中は手前駐車場に車を置いてシャトルバスに乗車することとなるが、岬への入場終了間際の夕方に来たところ岬駐車場に余裕があり、そのまま車で進入。
地図を見て襟裳岬のような山脈が海に沈む光景を予想していたところ、整然とは言い難い地形。灯台は島にあった。
本土最南端のモニュメントは無い。

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四極交流盟約書は、平成3年に締結された。
根室市HPによると、本土四極市町連携PRキックオフミーティングが平成25年6月5日に東京で開催されている。

 

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桜 さくら

週末は天候不順で恒例の桜撮影に出なかったので、3月下旬に周南市徳山で見掛けた満開の桜を紹介する。
徳山は工業都市のイメージが強く、殺風景な工場群を想像しがちだが、中心部には見事な桜並木がある。

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市役所付近 防長交通の回送車と

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市役所付近

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県周南総合庁舎付近

山口県内の桜の多くは、花にボリューム感があり、絢爛豪華なのが特徴だ。岩国市錦帯橋周辺の桜が有名で、その中でも岩国藩主の居館跡である吉香公園の桜が見事である。撮影した周南市徳山の桜のうち、市役所付近の県道(旧国道2号)の桜は、この系統を引くものかもしれない。

県道は、空襲で焼け野原となった徳山の復興のため、都市計画道路として建設された。その時植えられた桜ならば樹齢70年弱となるはずで、外観からして間違いないだろう。大規模な空襲を受けた都市として最小クラスとなる徳山は、戦後の復興において新宿、原宿、青山といった東京の地名を付名するなど、ユニークな手法も用いられている。復興道路に植えられた桜の木も、県下の銘木から持って来る「こだわり」があったとしても不思議でない。


徳山中心部で桜を撮ったのは初めてだったが、デジカメと銀塩との比較のため古い写真を引っ張り出してみた。特殊な外式フィルム(コダクローム)のため、保存性は29年前の撮影と思えないくらい驚異的に高い。
しかし、外式フィルムをまともにスキャンできる国産のフィルム専用スキャナが絶版となっているため、スキャナの光量不足やピントの甘さに妥協しつつ、最終的にレタッチソフトによって仕上げている。
レタッチソフトで彩度を上げていくと、嘘臭い派手色が現れる限界がある。最新のデジイチのソースの方が、コダクロームより限界が現れるのが早いようなのである。これは、コダクロームのカラーバランスが非常に優秀であり、経年変化も小さいことを意味する。製造中止になって久しいフィルムなので今更どうにもならないが、世界遺産(記憶遺産かも)に指定する価値があったんではと思ってしまう。
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1986.4 長崎市内 PKR or KR


 

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音戸・江田島桜めぐり

桜を追いかけて、久しぶりに広島の島嶼部へ出かけた。

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第二音戸大橋から音戸大橋を望む

2013年架設の第二音戸大橋は「ニールセンローゼ固定アーチ橋」とい形式で、なめらかな曲線主桁と直線の高張力材の対比が面白い。
並行する1961(昭和36)年架設の音戸大橋と比較して技術の進歩を感じさせるが、同形式の安芸大橋(東原~戸坂の県道)は1967(昭和42)年の架設で、イメージより古くから存在するタイプである。安芸大橋が橫桁にトラスレスの円パイプを使うなどデザイン重視の先進的な構造をとっているのと比べると、第二音戸大橋は幅員が広く強度確保のためか、橫桁とトラスを組合わせたコスト重視のオーソドックスな造りとなっている。

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4車線のうち未共用の南側2車線の終端には、橋の構造材に匹敵する堅牢な鉄板が固定されている。鉄板だけでなく補強材も万篇なく入っており、高さも人の背丈に近いものだ。
暫定2車線供用の橋の多い「しまなみ海道」でも、こんな壁は見たことが無い。

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下に民家があり、どうやら車両の転落防止対策と思われる。中央分離帯を車両が乗り越えない高い頑丈なものとする方法もあるが、景観を遮るデメリットがあり、橋梁端部からの転落を防止する考え方をとったのではないだろうか。

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第三音戸大橋と通称されるパーキングエリアの連絡歩道橋。今年になって完成した。
初代の音戸大橋と同様のランガー橋の外観となっているが、上部アーチ部が構造的に機能しているか不明で、飾りかもしれない。

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満開の桜と広電バスを絡めて撮ることに成功。普段行かない場所なのでWEB地図などで事前調査したいところだが、桜の場合はロケハン即ぶっつけ本番。

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呉~早瀬大橋線(田原経由)

 

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呉~早瀬大橋線(田原経由)

早瀬車庫に緑のバスがいるのは、まだ違和感がある。

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広島県の島嶼部には、小規模な斎場(火葬場)が非常に多い。ここでも海の見晴らしの良いところに建っていた。
生まれ育った土地で最期を迎え、集落を見渡せる墓地に葬られるという、人間本来のライフサイクルの名残りとなる施設であり、ある意味理想的な姿であろう。現在使用されていない施設も多いようであるが、詳しく調べたブログがあるので興味のある方はそちらをご覧いただきたい。

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江田島バスの本社車庫裏にも、見事な桜が花をつけていた。
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中町~ゆめタウン線に、海の俯瞰と桜が一緒に収まるところがあった。便数の比較的多い区間と言えちょうどバスが来てくれたので、本日、最高のショットを撮影。

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桜も咲いているようなので、第一術科学校(旧海軍兵学校)を見学した。以前は事前申込や1日の見学回数の制限など厳しく、敷居が高いので訪問しづらく、意外にも今回が初めてである。
これまで佐世保・鹿屋など自衛隊施設を見てきたが、どこも当日すぐに見学可能で、無料駐車場も準備されている。

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ドラマ「坂の上の雲」で有名になった廊下

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大講堂 席は入学式の準備済

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戦艦大和の46センチ主砲の砲弾と特殊潜航艇「甲標的」

ちょうど、4月19日(土)のTBS系報道特集で、第一術科学校の1年間を放送していた。ラストに放送された今年の入学式は、この数日後に行われた模様。

江田島バスの最大ターミナルである小用港。港のバスターミナルとしては全国屈指の規模と思われるが、人影はまばらである。

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江田島バスの母体は第3セクターの能美バスで、うっすらと見える

切串港(吹越地区)から呉ポートピアに渡る。
本土への最短ルートであり、便数も多い。同乗者まで含めると広島港(宇品)までのフェリーより千円以上安いので、結構人気がある。うちまで帰ろうとすると、宇品に着いて広島市内を通り抜けるより、時間的に同程度かやや短い。
ここ数年、江田島関連航路が再編中と聞いていたので、利用者本位で議論され、航路のインフォメーションもしっかりしていると思い、特に調べずに行ったら、これが大きな誤算であった。切串港(宇品航路発着地)や小用港は、公設案内看板が道路上に設置されフェリー航路を併記するほど手厚く扱われているのに、ポートピア航路に関しては見当たらない。同様に、術科学校や各港にあった時刻表や航路案内が、ポートピア航路だけ見当たらない。
観光パンフの中の多数の観光施設・交通機関の中に運航会社の電話番号を見つけたので、ようやく利用することができた。
JRの駅にも接続し、時間的に不安定な路面電車より新幹線連絡などで確実性の高いルートなのに、行政から無視されている雰囲気が漂う。この干された状態は、どういうことだろうか。

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行先は「呉ポー天応」呉~天応航路ではない

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遊園地「呉ポートピアランド」の施設の一部が公園として残されている

呉ポートピア港は、岸から突き出した防波堤が無い。島々が天然の防波堤なのだろう。
護岸部がとって付けたような簡易な構造なところを見ると、宇品か宮島航路あたりをするために、最小限の費用で作った施設かもしれない。

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約10分の船の旅も終わり。江田島へ沈む夕日。Dsc_6049

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熊本・鹿児島

3月~4月に熊本・鹿児島を回ってきた。

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九州新幹線熊本駅にて  博多行き「つばめ」発車!(許可を得て知人私有地内で撮影)
 
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宮本武蔵が晩年、五輪書を書いたと伝えられる熊本市郊外の霊巌洞。
熊本市内には武蔵の墓もある。
 
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霊巌洞のある雲巌禅寺の出入口。
テーマパークでおなじみの回転扉だが、無骨な年代物の鋼板製は珍しい。
 
海上自衛隊鹿屋基地の資料館まで足を伸ばしてみた。
 
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おびただしい数の退役機が展示してあった。連れはカラフルな塗色は展示用と思ったらしく、特に小型機はプロポーションも可愛らしいので駿アニメチックとの感想。確かに偵察・支援任務の機材だから、純粋な兵器としての怖さは感じない。
資料館の半分程度は神風特攻隊に関する展示で、館内にはゼロ戦の現物もある。知名度の高い旧知覧基地へ行ったことは無いが、特攻関連の展示量はこちらが多いかもしれない。
世界で最初の正規空母を旧日本帝国海軍が建造したこと、日米開戦頃の艦載航空機数は日本がアメリカを上回っていたことが説明されており、現在、圧倒的な海軍航空兵力を持つ米国とその分野で張り合った歴史上唯一の国が日本だったという事実を、今更ながら認識してしまう。
規模を拡大してきた自衛隊の中で、封印されたセクションが旧海軍航空である。合衆国と同盟関係を結んでいる限り、劇的な増強はあり得ないだろう。この部門の過去の栄光を刻むことが、重苦しい特攻の展示と平和な時代のアニメチックな機体の並ぶ鹿屋資料館のもう一つの目的と思えてしまう。
 
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資料館は地味な外観
 
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大隅半島は遠かった。加治木JCTから鹿児島市まで30分で着くのに、距離が2倍の鹿屋までは1時間30分を要する。
東九州自動車道は、既存の隼人道路へ接続するルートを選んだため、鹿児島市方面へ向いている。熊本側からは遠回りな上、鹿児島空港付近のシラス台地の頂上から隼人・国分の姶良カルデラ底部に下り、再度シラスに上らねばならない。国分からは勾配緩和のため、北へ大きく迂回する。このため、鹿児島空港から鹿屋までは、カーナビも一般道経由を案内する。
東九州道はルートに難があり、鹿児島市~都城市短絡の期待を裏切って曽於市へ南下し、建設中の志布志付近では右へ左へ目的地不明の優柔不断なカーブを描く。
桜島フェリーが24時間運航となり、鹿児島~垂水航路も充実した現在では、鹿児島から大隅半島へは垂水付近を基点とする高規格自動車道があれば便利だが、整備は手付かずだ。
 
35年ぶりの桜島。
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桜島の湯之平展望台から北岳山頂
 
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石積み砂防堰堤が階段状に連なる。かなりの年代ものと思われる。
 
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埋没鳥居
桜島の北側に位置し、通常の観光ルートから外れていることから、これまで行ったことが無かった。大正大噴火の火山灰が泥流となって押し寄せて埋没したもので、溶岩流や火砕流によるものでは無いようだ。
桜島にしてみれば長い寿命の中で、「大正大噴火程度なら、ちょっと頑張れば明日でも可能」、「南海地震・日向灘沖地震の後なら、ケツ緩んでるんで姶良カルデラ・クラスの噴火もできないことは無い。リクエストするっ?」と言ったところだろう。
数十年以内に予測されている南海トラフ大地震が、壊滅的噴火が起こるかどうかの分岐点となるんだろう。
 
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桜島周遊バス「サクラジマ アイランドビュー」
観光地で最近流行っている観光客向けの路線バス。噴煙を上げているのは南岳。
 
最後は熊本市電の熊本駅~田崎橋間の張芝軌道。日本離れした光景が拡がり、整備した行政機関は国内先進地として鼻高々だろう。
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だが、この区間は乗客数が熊本駅で大きく段落ちした後の閑散区間。存廃を議論すべきだったはずで、そもそも投資価値があるのだろうか。
軌道を道路端に追いやったため、本線側の自動車信号が青の時は交差点毎に電車は信号待ちさせられる。熊本駅で乗降時間を3分程度とっていることもあり、田崎橋発車から熊本駅発車まで15分程度を要する。速度アップ・快適性向上といった交通機関として最も優先すべき本質的なサービスレベルは大きく低下し、優先度の低い修景のみ実現し、エコを謳う。利用客が置いてきぼりを食らった格好である。
道路サイドに軌道を置いたのは、仮に軌道を廃止しても道路施設の手戻りは無く、市民の視線から目立たないからでは?と勘ぐってしまう。
実際のところ、九州新幹線開業に伴う熊本駅周辺整備の一環として、短いスケジュールで行け行けで進んだのだと思う。でも新幹線の利用客で熊本駅~田崎橋間を乗車する一般人は皆無に近く、事業のストーリーは破綻している。
熊本市では、熊本電鉄藤崎宮前までのアクセス改善が待った無しの状況であり、貴重な予算を無関係の投資効果の低い閑散区間へ振り向けたことは理解に苦しむ。
 
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環境だけが取り柄の事業なのに、不細工な光景を見掛けた。
熊本駅前電停の屋根下で、軌道間の張芝が枯れて土が散らばり清潔感を損なっている(枯れた芝シートが見える)。風が吹けば土埃が舞い上がり、環境を悪化させるだろう。
隣の上下線間には人工芝のようなものが張ってあり、工法比較かもしれない。しかし、降雨の掛からない植生の維持はコスト面などから現実に難しいことは経験的に知られている。 例えば、橋梁下の雨水の掛からない範囲では、河岸に芝を張らずブロック張りなどにするのが常識だ。
「緑化軌道は事例が少ないので」という言い訳は通じない。
 
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竹久夢二郷土美術館

正月休みの遠出の第2弾として、岡山県の夢二郷土美術館本館と分館を訪ねた。
東京から帰省した家族が青春18きっぷを3回しか使わないというので、余った2回分を使って連れと出掛けることにした。
 
岡山駅前から岡電バスで夢二郷土美術館本館へ向かう。岡山後楽園の入口に近い「蓬莱橋(ほうらいばし)・夢二郷土美術館前」で下車するが、下車地はバス停ポールが見当たらず、バスによって停車位置が微妙に異なる不思議な停留所である。
 
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本館から分館へ向かうため、JR赤穂線邑久駅へ移動する。岡山駅までバスで戻るかJR山陽線の西川原・就実駅に徒歩で移動するか迷ったが、結局、岡電バスに乗った。天満屋バスセンターに寄るため大きく迂回し、15分以上を要した。
後から調べてみると西川原駅から思いのほか近く、約900m、徒歩15分程度である。後楽園などの最寄駅として西川原を案内していいかもしれない。ちなみに後楽園のパンフレットにはJR岡山駅から徒歩25分1.8kmとある。
 
邑久駅からタクシーで10分弱で分館に到着する。美術館らしきものが見当たらないので、違う所へ連れて来られたか?と心配になったところ、ありふれた農家建築が分館だった。夢二の生家なのだそうだ。
せっかく、タクシーのドライバーがトランクから入場料金の割引券を出してくれたのだが、本館の買物袋を持っていたら割引券を見せなくても分館の入場券は割引となった。(貰った割引券は通常のもので、HPに案内されている「夢二タクシー」とは別物)
 
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駐車場から分館への途中は公園として整備され、土産物屋もある。
日曜日だが年末年始連休の最終日ということもあって閑散。
 
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分館=夢二生家。この地区は浸水常襲地区のため、かつて常備されていた「田舟」が置いてあった。
 
「少年山荘」は興味深い建物だった。
夢二がアトリエ兼住居として東京に建てたもので、建材が悪く傷みが激しくなったため、他界後しばらくして解体されたと言う。現在建っているものは、分館の一部として1979年に復元された。
洋館の中に和室が違和感なく組み込まれていて、現代家屋の先駆けを行くような作りだ。明治時代に建てられた入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)は、和・洋の建物を無造作に接合していたことを思い出した。
 
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帰路は両備バスで邑久駅まで戻った。
美術館のHPには「邑久駅からバスまたはタクシーで10分」とあるのだが、路線バスの詳細な案内を読むと、岡山駅~西大寺に乗車、西大寺バスセンターで乗換えて夢二生家前で下車という内容が書かれている。
この日は、岡山~西大寺の未来バス「ソラビ(SOLARVE)」が点検運休中だったのでJRルートを利用したが、時間や運賃の掛かるルートを案内しているのは、それなりの事情があるようだ。
 
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JR邑久駅前
 
美術館の館長は小嶋光信氏、両備ホールディングス代表取締役会長(CEO)だ。
井笠鉄道バスの廃止問題では、両備グループが運行の大部分を引継ぎ、地元自治体・住民が小嶋氏の一挙手一投足に注目することとなった。あるいは、和歌山電鐵の「たま」駅長あらため社長代理の仕掛け人という方がわかりや すいかもしれない。わが国の交通企業のトップとして、マスコミへの露出度の最も高い人であろう。
夢二郷土美術館を運営する両備文化振興財団も、両備グループの一員である。それなら、岡山駅から夢二生家・分館までのルートが両備バスとなっていることに納得がいく。
 
しかし現実には路線バスを使って分館を訪れるお客は少なく、両備グループへの囲い込みなどと言ったカッコいいビジネスモデルは成立していない。それどころか、美術館の来館者も多いと思えず、運営は厳しいのではないだろうか。
 
 
最後に、夢二について。素人が書いても受け売りになるのだが少し感想を。
夢二は、現代の「イラストレーター」の先駆けとなる仕事もこなしていたこともあり、生前の評価は決して高くなかったようだ。実際、原画を見ると走り書きのような作品が多く、企画展で見た北大路魯山人の緻密な書画と対照的である。
代表作としてよく紹介される美人画は、潤んだ目から退廃的とも言える印象を受け、好き嫌いが分かれるだろう。
しかし、夢二の理想形への到達点と言われる「立田姫」を今回初めて見て、夢二へのイメージが少し変わった。現代のイラスト類に大きな影響を与えていることは間違いないだろう。
 
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清神社

初詣は、安芸高田(旧吉田町)の清(すが)神社というのが定着しつつある。

今年も結構な雪の中を行ってきた。
 
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NHKの2012-2013ゆく年くる年で、全国に生中継されたばかりである。
 
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ここの御神木の配置は変わっていて、横一列に5本並んでいるため階段を上ると行く手を遮られる。最近まで6本あったらしい。樹齢は800年近く、清神社を熱心に信仰したと伝えられる毛利元就の時代は既に相当な大木だったであろう。
もう一つ変わっているのが、3本一組の破魔矢。毛利三兄弟の3本の矢の逸話にちなんだものだ。
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定番の厳島神社からの中継とならなかった理由は、大河ドラマとして史上最低の視聴率を記録した「清盛」が年末に放送終了し、新年からは同じ広島県出身の綾瀬はるか主演の「八重の桜」が始まることから、地元局として心機一転を図りたい気持ちがあったのかもしれない。八重の故郷である会津と敵対した長州藩ゆかりの神社の登場となったのは、偶然かもしれないが、結果としてバランスをとることに貢献した。
また、清神社に毎年必勝祈願に訪れているサッカーJ1のサンフレッチェがリーグ優勝し、話題性があった。チーム名は3本の矢にちなんだものだし、吉田サッカー公園は公式練習場で、吉田とサンフレッチェとの縁は深い。
しかし、ゆく年くる年の番組中で紹介されたのは、ロンドン五輪卓球女子団体銀メダルの3人娘(福原愛、平野早矢香、石川佳純)に破魔矢が贈られていたエピソードだけであった。これは偶然でなく、山口県出身の石川選手のもとへ、長州藩発祥の地である吉田の縁起物が3人団体の助けになればということで届けられたようである。
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境内にはサンフレッチェの旗が翻っていた。氏神様のいるプロチームは珍しい。
 
清神社近くのゆめタウン吉田では、神楽の上演が行われていた。広島県内のかなりの数のショッピングセンターで、正月などの恒例行事となっている。
この神楽団のシンボルマークは、約400年前に安芸国から去った毛利家の家紋である。江戸時代の統治者である浅野家のものでない。
上演が終わると、それまでガランとしていた店内が急に活気づいた。
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