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阪急三番街崩れ(大阪梅田高速バスターミナルの異変)

阪急三番街が地震で崩れるという話ではない。「浦上三番崩れ」という史実から採ったタイトルである。種明かしはのちほど。

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5月から6月にかけて、大阪発着高速乗合バスの休廃止が相次いだ。すべて、大阪梅田阪急三番街高速バスターミナルを発着する路線だ。

 ・5月31日限り廃止 昨年10月から休止となっていた大阪~鹿児島線(阪急観光バス・南国交通)
 ・5月31日限り廃止 大阪~長崎線(阪急観光バス、長崎県交通局)
 ・6月23日限り廃止 大阪~岡山~倉敷線(下津井電鉄・下電観光バス)を休止、他社グループの大阪駅JR高速バスターミナル~岡山線と共同運行に(下津井電鉄のみ)
 ・6月30日限り廃止 大阪~下関線(サンデン交通)
※いずれの日付も最終便の出発日

すべて1980年代末~90年代初頭の長距離高速バス・ブーム期に開業した路線で、20年以上の実績を持つ(ただし岡山線は休止を経て2006年再開)。バブル崩壊、リーマンショック、1,000円高速、高速ツアーバス攻勢などの数々の逆風にも耐えてきた、足腰のしっかりした路線だったはずだ。
大阪~長崎線は、大阪方の事業者も参加していたことから、大幅な赤字でなければ、コストの安いと言われる地方側の事業者単独とする方法もあった。
岡山線は、競合路線を運行する両備、西日本JRバス、中国JRバスの大連合に押され気味だったものの、化粧室(パウダールーム)の充実、全席100Vコンセント装備といった独自サービスに加え、旅客流動の多い区間ということもあって週末は概ね満席となる便もあった。ピークの10往復から1便減の9往復体制を維持してきたことから、危機的な収支状況という印象は無かった。
ライバルの高速ツアーバスは、今年8月から高速乗合バスへの転換が義務付けられ、コストアップやこれまでほどの柔軟な運賃設定が困難といった理由から運賃値上げが見込まれる。さらに停車地に関しては大幅削減され、残ったものも利便性の劣る場所へ追いやられている(正直「干された」という印象がある)。また、転換されず廃止となるルートも多い。ツアー系業者による高速乗合バスの新規運行はハードルが高く、現在、並行ツアーバスの無い区間で新たな競争相手が生まれる可能性はほとんど無いことがわかってきた。

ライバルのツアーバス系高速バスの弱体化が秒読みで迫り、経営環境の好転が期待できるこの時期に同時多発的に休廃止となったのは、何か共通の理由を勘ぐらざるを得ない。

■ロマン長崎号 大阪~長崎線(阪急観光バス、長崎県交通局)

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本路線の開業から廃止までの間、長崎県交通局は公営交通として唯一の夜行乗合バス事業者であった。
競合する近鉄・長崎自動車のオランダ号が、地下鉄東梅田駅付近に停車するようになって以降、ロマン長崎号は大阪キタに停車するアドバンテージを相対的に失ったと思われる。近鉄系の高速バスは、上本町・あべの橋などの大阪ミナミの中心からやや外れたターミナルに発着し、関西では地味な存在であった。OCATへの乗入後も挽回するほどの効果は見られなかったが、2003年頃から大阪駅前(東梅田の路上停留所)に停車するようになって以降、堅調に推移し廃止路線はほとんど無い。かつて一般路線バス専用だったポール1本が、1つのバスターミナルに匹敵する利用者数を有する拠点に大化けした。
さらに、2011年に神姫バス・長崎自動車が神戸~長崎線から撤退し、代わってロマン長崎号が三宮バスターミナルに停車したことが、墓穴を掘ったように思える。千里ニュータウン、千里中央、宝塚といった阪急バスのエリアのバス停への停車は踏襲したため、梅田~三宮間に1時間35分を要した。JR神戸線新快速で20分、阪急神戸線特急なら27分の区間である。
三宮経由の影響でロマン長崎号下り便の梅田発車は21時、オランダ号の30分前は大きな時間差でないが、長崎駅到着は8時5分で47分も遅く、途中遅延すれば朝の渋滞にハマりかねない時間帯である。上り便の梅田着も7時20分と、三番街ターミナル到着夜行便のほぼしんがりであった。観光客にとって遅めに着くロマン長崎号のダイヤは便利だが、リピーターとして夜行バスの利用客のかなりを占める大阪に自宅、長崎に実家というパターンの人や、大阪への単身赴任者にとっては、転がり込む家があるので早く着いて差し支えない。
結果論だが、長崎自動車は副作用の強い撒き餌をしたことになるかもしれない。

運行開始から間もない1989年5月の写真をお目に掛ける。1・2号車セットの写真はご存知の方も多いと思うが、3号車単独走行の未公開ショットである。証拠は、照明灯の上にとまっている鳩。

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■ふくふく号 大阪~下関線(サンデン交通)

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前項と同じ場所からの写真。24年間に高層ビルが増え、樹木も成長していた。

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阪急新大阪バスターミナルにて。三番街バスターミナルは天井が低くWデッカー等がNGとなっているのと異なり、3階建てバスも可能な高さの立派なターミナルである。新幹線新大阪駅のコンコース高さと床面を合わせた結果と思われる。

阪急バス新大阪バスターミナルは、2012年12月に現位置に移設された。阪急電鉄が神崎川~新大阪~淡路線を断念したことから、同線の用地上にオフィスビル、ホテル、商業施設の入る新大阪阪急ビルが建設され、その1階がバスターミナルとなっている。
通過地点のため普段 は閑散としており、施設に余裕があるためここを起終点とする高速バスなら増発可能だろう。

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ふくふく号の梅田出発は、大阪梅田Exの最終便(この日は下津井電鉄)の到着とカブることが多かった。

■大阪梅田エクスプレス 大阪~岡山~倉敷線(下津井電鉄・下電観光)
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下津井電鉄便

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赤磐市下市に停車するため、山陽ICから砂川沿いに片道約1kmを走行する下電観光便。新下市交差点は慢性的に混雑しており、ダイヤ面で厳しい状態であった。

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百円ショップ(最近までドラッグストアーだった )の駐車場の奥にある下市停留所。梅田エクスプレスの休止に伴い、乗合バスの停車は無くなった。(同社の東京~岡山線は津山経由) バス利用客のための駐車場が併設されており、観光目的のツアーバス等の乗降場所としての機能は残ると思われる。

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岡山インター近くの津高停留所。吉備エクスプレスへ統合後は、下電便は停車しない。ここも駐車場が併設され、岡山~新宿線・鳥取線・高知線・松山線と観光ツアーバスは従来どおり停車する。

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最終日の大阪着最終便は、下電観光の担当だった。ちなみに担当会社は日替わりで、発車オーライネットのみで確認可能だった。他社連合の吉備エクスプレスへの参画は下津井電鉄のみで、下電観光の高速乗合バスは運行終了となる。

大阪~岡山~倉敷線の場合は、独自運行から大連合グループである吉備エクスプレスに鞍替えするメリットもあっ た。
梅田エクスプレスの休止・吉備エクスプレスへの吸収まで約2週間となった6月8日時点で、吉備エクスプレスの改正時刻表、運賃、ポイントカード取扱い(カード発行、ポイント付与、ポイントカードによる乗車のそれぞれの期限)は発表されていた。梅田Exの回数券・ポイントカード扱いについては下津井・両備・JRバスのいずれのHPにも告示は無く、下津井電鉄の梅田エクスプレス乗務員に尋ねてもポイントカードが吉備Exに有効という他は詳細を聞いていないとのことで、変更は急遽決まったようだ。下市の駐車場も最近拡張されたばかりで、ちぐはぐな対応は今回の統合が急だった可能性を覗わせる。
大阪~岡山線は競争相手の消滅とともに、吉備エクスプレスの運賃値上げ、ポイントカード(5~10回の乗車で1回無料)の廃止が決まり、利用客としては腑に落ちないものがある。
このようなカルテルが堂々と認められる一 方で、経営効率化のためのバス会社合併は公正取引委員会が認めないという。そもそもバス事業は鉄道・自動車・自転車等と競合し、バス会社が合併しても「交通」分野を独占することは不可能である。高速乗合バスはダブルトラッキングの解消、高速ツアーバスの廃止などもあって事実上の独占が既成事実化しているのに、一般路線は独占を認めない。ダブルスタンダードで筋が通っておらず、利用者の利益と言う観点からすれば法制度に疑問があるので、苦言を呈しておく。

 ■さつま号 大阪~鹿児島線(阪急観光バス・南国交通)

見た記憶があるが写真を撮っていない。阪急観光バスのロマン長崎号の後面広告の消してある部分にさつま号が入っていたと思われる。
大阪~鹿児島線の場合は、乗客の運転妨害による横転事故(2011年2月、山陽自動車道小谷SA付近)、九州新幹線全線開通・LCCの運航な どもあり、リスキーかつライバルの多い事業を継続するか否かの経営判断もあった。

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ところで、歴史上の「浦上崩れ」で最も有名なのは「浦上四番崩れ」である。1867年(慶応3年)、天領長崎の北に位置する浦上村の隠れキリシタン が摘発され、拷問、流罪となった。明治維新後もキリスト教に対する禁教令は解かれず、弾圧は続いた。「浦上三番崩れ」は、江戸時代安政年間に起こった同様 のキリシタン弾圧である。
今回の高速乗合バスの休廃止は、阪急系バス会社との共同運行あるいはかつて共同運行だった路線、あるいは阪急が一部出資 する地方バス事業者が単独運行していた路線である。阪急村の一角を形成していた路線が、部分的ながら短期間に崩壊した。お隣のターミナルへ「改宗」まで起こった。「三番」という言葉尻にとどまらず、事象に多少の共通性を感じ、あえて使ってみた。

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さて、1989年5月大型連休に千里ニュータウンで撮っていた他の写真。
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ムーンライト・大阪~福岡線(西日本鉄道)が次々と現れた。上の写真は続行便で、先頭3号車は世界で始めて独立3列シートを採用した専用車のロットかもしれない。後続便は貸切車で6号車、7号車と読める。
2枚目の後姿写真は同じ隊列だが先に来た別のグループ、4号車(正規車)単独の写真もあった。ということは、この日は正規車4両に貸切車4両を加えて最低でも8両で運行していたと推測される。

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おけさ・大阪~新潟線(阪急バス)は、続行2号車だが正規車を使用している。エアロクィーンMが発売される以前の、フルデッカシャーシーをベースとした過渡期のスーパーハイデッカ。型式はP-725S改となる。

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大阪~津山線・西日本JRバス。大阪22あ4422、車両称号は略式4-210、正式744-2910、三菱K-MS504R(富士重工・1982年式)。この年、国鉄専用設計の7型高速車は10両製造されており、東名高速線開業時からの富士重工のモノコックボデーの架装は終焉を迎える。これはそのラストナンバー。
スケルトンタイプの高速バスが増殖する中で、国鉄の置き土産は強烈に異彩を放っていた。

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ふくふく号の名前の由来となった下関名物「フグ(ふく)」のイラスト

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