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昔の長崎バス(その1)

長崎バス 日野グランビュー(RY638) 研究
長崎県営バス 路線車

二階建てバスの写真を調べていたら、日野グランビューの背面写真が少ないことに気付き、1986年冬に撮ったものが出てきたので以下に紹介する。
正式な型式認定を取得しながら、12台しか生産されなかったレア車である。

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長崎自動車 長崎本社~オランダ村線 オランダ村駐車場にて 
日野P-RY638AA1985年式
日野車体

1984年、同社の長崎~佐世保線(西海橋経由)に、ドイツ・ドレクメーラー製Wデッカーが新規投入された。*) 翌年、ハウステンボスの前進となるテーマパーク・長崎オランダ村への路線に新規投入されたWデッカーの第2弾である。
メンテナンスや外車でありがちな不具合の頻発を勘案して、国産車の採用となった。三菱城下町の長崎でふそう車が見送られた理由は、納期か価格のいずれかであろう。
「シルクロードExpressII」はこの個体に付けられたもので、路線愛称ではない。
その後、オランダ村の閉園、ハウステンボスの開業に伴い、長崎~ハウステンボス線(西海橋経由)で使用された。

ちなみに左に見えるのは瀬戸営業所急行車(いすゞBU10P 1979年式)。長崎バスの一般路線車には、特急に使えるハイバックシート車が少なかったため、この急行車グループはオランダ村線の続行応援によく駆り出されていた。外観は一般車と同一の2段窓・後折扉ながら、エアサス、リクライニングシート、補助席付きである。

*)常磐交通自動車の平~会津若松線に続く、一般乗合バスとして国内2番目のWデッカー使用だったと思う

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後姿は1985年登場の日野ブルーリボンとほとんど同じプレス形状であるが、後面はペッタンコに見える。ブルーリボンの曲面ガラスと曲率が異なるのだろうか。
日野はスケルトンRSまで後面に型式記号の一部を入れたエンブレムを付けていた。ざっと検索したところ、「RY」の写真が見当たらなかったのでアップ写真を掲載しておく。

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歩道橋から撮影したため、フィルムSCANにより初めて見るものが写っていた。
屋根中央部に飛び出しているものは、ラジオの可倒式アンテナだろう。固定部分は車検時に全高としてカウントされるはずだから保安基準の3.8mに収めるのは至難の技と思われるが、エアサス車の場合は何とかなるかもしれない。
第2ピラーと第35ピラー付近の雨樋に付いているのはテレビアンテナだろう。テレビを搭載したこの時期のバスにはちょっとカッコ良い八木アンテナを屋根に付けている例もあるが、Wデッカーでは最初から保安基準いっぱいの車体のため付ける場所がない。現在一般的なガラス付けは、当時バス用には未展開だったのではないだろうか。

以下、後面写真と同じ日に撮ったバス。

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長崎自動車 いすゞBU10 19721977年式川重車体

経由番号幕が独立しているのは、この年の前期車まで。
この日は朝から積雪があったようで、車体が滅茶苦茶汚れている。後輪に先ほどまでタイヤチェーンを着けていた跡がくっきり見える。南国長崎でも、長崎バスでは全車両チェーン常備となっている。

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長崎県交通局 三菱B805L 1973年式 三菱名古屋

エアサス、トップドア、リクライニングシートの都市間路線車である。
JR民営化の頃は諫早から長崎市内へ向かうには、長崎本線市布経由の列車か、このバイパス経由急行に上手く乗れるとラッキーだった。これらの速達ルートは便数が少なく、諫早方面は車を使えないと極端に不便な状況だった。
今では、市布経由はトンネル内の三川信号所まで駆使して大増発され、県営バスは長崎~諫早高速バスも頻発している。

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長崎県交通局 三菱MP117M 1976年式 西工

廃車の都市間路線車のサブエンジン冷房機を転用取付して間もない頃で、ボデー改修も同時に実施され経年数にしてはピカピカである。方向幕サイドのマーカーランプは撤去されている。
運転席側からの写真で気付いたが、中折扉車なのに非常口は中央部にある。

こちらもアンテナの話となるが、運転席ピラー部から真っ直ぐ立っているのはラジオのアンテナである。1982年7月の長崎水害を教訓として、県営バスでは一般路線車の全車にAMラジオを搭載した。しばらくの間、運行中も放送を流しっぱなしにしていたのには閉口したが・・・
東日本大震災でもIT機器が次々と電源切れとなる中、ラジオによる情報伝達は重宝されたと言われ、乗合バスの構造要件としてラジオ搭載を義務付けていいだろう。また、バスのオルタネータやバッテリーの容量が大きいことに着目し、AC100V、DC12V、USBのコンセントの装備も考えられてよいと思う。停電・交通途絶時には鎮座し、IT機器の利用拠点として電源とスペースを提供するのである。

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